狂言『姫糊』…「姫糊」と「忠度」の語感はたしかに近いが

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「新地をくわつと下された」

殿の発言中の、「くわつと」というのは気前よく与えるさまを表したもので、その様子が目に浮かぶような小気味いい表現。文字でみても口に出しても効果的で、今使うととても新鮮だろう。

「前車のくつがへすを見ては、後車のいましめとする」

これは読んで一度で意味がわかるというもの。前の人が失敗したのをみれば、『あんなふうには失敗せんぞ』と思う。

中学時代のこと。親友のTは音楽の時間、ギターのテストで全く演奏をせずに教諭から怒られた。出席番号が後の私はその様子をみて、これはまずいことになると感じ、必死に音を出して弾くそぶりを見せた。「できません」と告げ、演奏をしないという事前の約束を破ったのだった。彼はいまだにその不義を詰ることがある。

薩摩守、忠度にてはなきか」「はあ、それで御ざいました」

このやりとりがこの狂言の核心部分。既に話を知っている人はここで笑うに違いない。殿はさんざん平家物語を語ったあげくにこの「忠度」に至る。

「紺屋に使うは、賤が姫糊にてある」

太郎冠者が忠度を姫糊と混同していたという、「のり違い」の話なのだが、この二語の組み合わせはユニーク。姫糊とは飯粒で作った糊のこと。僕が子どものころ、用途は忘れたが、母親が何度か使っていた記憶がある。

「姫」は炊いた飯のことで日国をひくとちょっと難しい別の漢字二字も出てきた。さてこの「姫糊」、鷺流にあったそうだが、現在廃流廃曲。文字を吟味して舞台を想像するしかない。

人名や物の名前はすぐに出てこないことはしょっちゅう。