能と狂言
23日の国立特別公演は舞囃子「紅葉狩」がスタートで、狂言「業平餅」、能が「張良」。舞囃子のほうは、澄んだ女性らしい笛の音が冴えた。かつてみた舞台が重なるようだった。 狂言「業平餅」は茂山七五三の円熟味に驚いた。先代の千作的な雰囲気が醸し出され…
「口真似聟」ははじめて。無知で世間知らずの婿がだまされて醜態をみせる狂言がいくつかあるが、この狂言もその一つ。口真似が中心で、筋の出来栄えがいま一つなこともあり、なんとなく中途半端な感じが残った。シテにもう少し余裕が欲しかった。 能「敦盛」…
1日の定例公演は狂言「腰祈」、能は「羽衣」。どちらも過去に観ている。狂言のほうは割と最近だが、能のほうは、保存してあるチケットを調べてみたら2000年6月以来。16年ぶりということになる。 有名曲で、能を観たことのない人でも名前ぐらいは知っている「…
今日は企画公演・復曲再演の会で狂言が「連尺」、能は「菅丞相」。手元にある本でいろいろと調べてみたが、どちらも見当たらず、ちらしだけ目を通して見所に向った。 連尺とは荷縄のことで、この連尺で担った商売物を売る男女の争いがテーマ。先着した女性の…
これは観世宗家の観世清和師もおっしゃっています。能の演目には2時間を超える曲もあり、そんなときは集中して見続けることじたいが困難でしょう。自分も含めて舟を漕いでいる観客がけっこういます。 僕がよく休むのはアイ狂言(ない曲もあります)のとき。こ…
国立能楽堂の能楽研修発表会「青翔会」を昨春から見始めて3回目になる。若き研修生や女性参加の舞台は定例公演ではまず見られないため、いつもと違った楽しみがある。 まず狂言。シテで出家を演じた研修生上杉啓太は堂々とした舞台で、とてもよかった。これ…
6日の定例公演は能が「金札」、狂言が「鴈雁金」。定例公演では通常狂言→能の順だが、新年最初の演目は能が先に演じられる。曲は祝言能で「金札」。あまり舞台にあがらない脇能で、能楽堂通いが今年で17年目となる自分もはじめてだった。 年始ということで、…
18日の定例公演は、狂言「鏡男」、能「紅葉狩」。狂言のシテは大好きな善竹十郎。15世紀からそのままやってきたような独特の味わい。鏡を覘いていろいろな表情をみせる場面がさすがで、大柄な妻の善竹富太郎との相性もよかった。 「紅葉狩」は能の中でも分か…
昨日は国立能楽堂で行われた能楽研修発表会「青翔会」を観に行った。狂言に始まり、舞囃子が二曲と能一番といういつもの構成。 狂言「痺(しびり)」のシテは和泉流20代前半の若手。台詞回しは正確で、型もできているが、やはり動きや口調に余裕がなく、表情も…
国立能楽堂のチラシ(裏面)に並ぶ出演者を見て?と思った。10月10日の普及公演、能「夕顔」のワキが大日方寛、ワキツレが殿田謙吉となっている。 通常はベテランの殿田がワキなので一瞬、校正ミスかと思ったが、このような間違いがありえるはずもない。この日…
昨日の定例公演、狂言は和泉流で「舎弟」。かなり前に一度見たことがある短い演目。「江口」が長時間なのでバランスをとったのかもしれない。シテの高野和憲はよく演じていたと思う。 野村萬齋も教え手として出演。いつ見ても彼には洗練され過ぎの感がつきま…
「新地をくわつと下された」 殿の発言中の、「くわつと」というのは気前よく与えるさまを表したもので、その様子が目に浮かぶような小気味いい表現。文字でみても口に出しても効果的で、今使うととても新鮮だろう。 「前車のくつがへすを見ては、後車のいま…
昨日の国立能楽堂・定例公演は狂言が「見物左衛門」で能が「嵐山」。どちらも過去に見たことがなく、楽しみな演目だった。狂言のほうは登場人物がただ一人という珍しいもの。他には「独り松茸」ぐらいしかない。謡では独特のしゃがれ声が少し辛そうに聞こえ…
週末を山形で過ごした。主な目的はかねてから念願だった黒川能を観ることだった。さいわい、自分の属する会に鶴岡出身の知人がいて、彼の取り計らいで観能が実現することになった。 会場は黒川・春日神社。今回は「王祇祭」とよばれる本式のものとは別の公演…